読書ノート

読んだ本の内容を記録し、振り返りやすくするための個人用ノートです。
時には引用しつつ、自分の考えや印象も書き添えています。

※ "" で囲まれた部分は書籍からの引用です。

教養のための認知科学

人間の知覚、視覚、記憶は非常に儚く、過去や環境に影響される。
コンピュータと違い、人間はスキーマや無意識の思考により、多様な視点を持つ。
この「ゆらぎ」が創造的な思考を可能にしている。

思考の技法

ウォーラスの「思考の4段階」:準備 → 培養 → 発現 → 検証
特に「培養」と「発現」が創造性に直結する段階として強調されている。
現代教育では「培養の時間」が不足している可能性も指摘される。

人間の知覚、視覚など、さらに記憶もとても儚い(弱い、脆弱)なものである。それらは昔の記憶や知識、または外界からの刺激や相互作用などで絶えず変化している。それらはコンピュータの記憶システムとは異なる構造・機能だとわかる。 人間は思考して、問題解決、推論、選択をしている。これらは数学的、論理学的には同型でも、表現を変えたり、ある意味付けをする事で解決までにかかる時間や、解決率が大きく変化する。つまり、人間は同型な問題でも、解決方法(スキーマ)を複数持っていることになる。状況に応じて、適切なスキーマを用いることで解決に繋がる。ここで重要なのは、ただ1つのスキーマを用いているのではないということ。意識的には1つでも、無意識で複数のスキーマを用いている。無意識スキーマは強度が強まると意識スキーマとなる。このように、思考は絶えずゆらいでいる。このゆらぎが思考の発達に繋がる。この点も人間とコンピュータの思考システムとで異質な点である。コンピュータは与えられたプログラムを繰り返すだけである。一読しただけではまとまりません。

三体

中国SFの金字塔。「宇宙社会学」と「黒暗森林理論」によって、
人類と異星文明の接触がどれほど危険であるかを論理的に描く。
ラストの「光速封印」には強烈な衝撃。

第1部では文化大革命で父親を亡くした文潔は苦労の末、太陽に向けて超高出力レーザーを放ち、遠く離れた三体文明にメッセージを送信した。これが引き金となり、生物の生存環境としては劣悪な三体星系から三体文明の宇宙艦隊が地球侵略のため地球へと向かった。最初の艦隊が到着するまであと約2世紀である。第2部のテーマは宇宙社会学であり、人間の意思を許さない自然科学と意思で成り立つ社会学が融合。フェルミのパラドクスへの解答の1つである黒暗森林理論をたった2つの公理と2つのヒントから見事に構築したルオジー博士。個人的に第二部が最高でした。第3部は、黒暗森林攻撃を防ぐためには全宇宙に地球文明は安全だと通知しなければならない。しかし、この安全通知はどうすれば良いのかわからない地球文明。ここで再び学問が交わる。今度は自然科学と人文学。宇宙の彼方、三体文明のもとで暮らす雲天明は二層メタファーを用いた3つの物語で安全通知の方法を地球にいる恋人、程心に伝える。この安全通知の方法が、一物理学徒としてとても興味深いものだった。それは光速を小さくして事実上のブラックホールを作り、その中に太陽系を収めるというもの。しかし人類はその選択肢を選ばず、、、

三体X 観想之宙

パラレル展開で語られるスピンオフ。10次元の宇宙、雲天明の再登場、
そして新たな「宇宙往時」へのミッション。正史とは別軸ながらも深いテーマ。

死神永生において、 1、三体文明に捕えられた雲天明はどんなことをされていたのか。 2、高次元のかけら、指輪、智子ブラインドゾーンなど、これらは何だったのか。雲天明に宇宙♯647を与えた存在は何なのか。いよいよ全宇宙における二項対立が判明。 こっからは死神永生の続きとも言えるし、「起きるかもしれない可能性の世界」または「並行世界」と解釈して良い。劉氏が書いたものではないので、解釈は読者次第。 3、宇宙は元々10次元空間であった。これをパーフェクトワールドという。光の速さは無限大であり、したがって時間という概念は存在しない。(しかし因果関係は成り立つ。)時間を求めて、パーフェクトワールドのある存在者が統治者(マスター、宇宙を作った者)に反逆し、宇宙を低次元化する。統治者の使いとなった雲天明が、反逆者が作った文明(太陽弾きとか出てきたけど、そいつら。星淵族という)を滅ぼし、隠れていた反逆者を見つける。そして統治者が反逆者もろとも、宇宙を次元逆転させ、パーフェクトワールドに戻す。しかし統治者と智子が雲天明と程心をだまし、、、 4、パーフェクトワールドは低次元化される運命にある。またもや低次元化が進み、ついに3次元宇宙が誕生し、太陽系文明元三体文明など、前宇宙と同様に勃興する。しかし智子によって、前宇宙とは微妙に異なる宇宙になった。現三体系は安定した星系。地球では紅岸基地は作られなかった。つまり太陽に向けて強力な電磁波を当てて宇宙全体に地球文明の存在を放送することもない。史強は任務中に死亡し、ルオジーに会うこともなかった。しかし、(前)雲天明(現在の名は劉)は智子によって前宇宙での出来事を伝えられる。智子によれば、雲天明にしてもらいたいミッションはまだまだあり、それによってより良い宇宙ができるという。雲天明は静かに一般人として暮らしたい。そこで智子は、まずは雲天明が得意とする小説を書いてみたらどうかという。雲天明は前宇宙の出来事を思い出し、筆をとる。 「宇宙往時」 第一部 三体、、、、

ソラリス

レムによる、異種知性との真のコンタクト不可能性を描く作品。

「意味を持った要素は各々全て、あらゆる意味を持った別の要素に対応づけられる。」
という、記号論的な視点を含んだ世界観が秀逸。

いわゆる「未知とのコンタクト」の物語だが、彼らと意思疎通可能な場合や戦争に発展する場合というステレオタイプではない。著者レムは人間形態主義を批判しており、将来地球外の生命体が発見されるならば彼らは地球文明とは似ても似つかない、全く異質な文明を発展させているだろうと考えている。我々は危険を顧みずに彼らの文明を理解しようと接触を試みるだろう。紋切り型のストーリーでは、どちらかがもう一方を撃退したり征服したりする。または意思疎通をして平和的交渉をするかもしれない。これらは人間形態主義の範疇である。レムはこれらを批判し、実際の地球外生命は地球人とは全く異なる文明であり、意思疎通はもちろん彼らの動きの意図も理解することもできないし彼らの構成体すら我々の理解を超えているかもしれない。このような場合、どんなことが起きるであろうかをレムは物語という形で一例を示してくれた。ある批評家はこう言った。『ソラリス』では、「意味を持った要素は各々全て、あらゆる意味を持った別の要素に対応づけられる。こういった意味で、ソラリスは鏡の世界なのである。」

宇宙と宇宙をつなぐ数学

数学における「論理」と「直観」の共存の重要性を説く。
直観なき理解は腑に落ちないという、教育現場でも活かせる示唆。

筆者はこう語る。「数学とは非常に論理的な学問であると同時に、非常に直観的な学問でもある。数学が苦手な人はおそらく直観的な理解が苦手な場合が多い。論理的には筋が通っていても、肝心の直観的理解(全体像把握)ができなければ腑に落ちないからだ。逆に数学が得意な人はロジックに強いのはもちろん、ひらめきや直観による総合的把握能力にも優れている人だと言えるかもしれない。」

死ぬほど読書

深い言葉は「読む・書く」の繰り返しから生まれる。
SNS時代において「浅い発言」が蔓延する背景を読み解き、
書き言葉こそ思考の深みを育てるとするメッセージが響く。

・言葉・発言の重みについて
著者「政治にしても経済にしても文化にしても、そこに携わっている人たちの言葉が軽くなっている(と感じる)。じっくりと洞察し、深く考えたところから発した言葉に触れる機会が、以前よりぐんと減っているのを感じる。このことは現代人の読書時間が極端に減ってきていることと、決して無関係ではないと思う。」
私「なぜ読書をしなければ、言葉・発言が軽くなるのか?軽くなるとはすなわち、深く考えられた結果の言葉ではなく、思いつきや浅い思考によって発せられること。読書では「書き言葉」を読む。言葉は大きく分けて「話し言葉」と「書き言葉」の2種類がある。明らかに深い言葉は「書き言葉」である。なぜなら書き言葉は目に見えるので間違いや意味的におかしな部分に気づきやすく、洗練されていくからである。現代の話し言葉は、レベルで言うと小学校の書き言葉レベルだと言われている。つまり、全く読書をしない人は必然的に書き言葉に触れる機会を失い、多くの意味・内容を包含している文章に出会わない。レベルの低い文章だけで生活していたら、レベルの低い文章・語彙しか使えなくなる。その結果、深い思考ができなくなる。言葉は思考の材料だからである。その意味で読書は、この世界で書き言葉によって書かれた文章を提供してくれるありがたい行為である。もちろん、仕事の文書などでも書き言葉は用いられるが、それはほとんど型が決まっている。読書とは幅の広さが桁違いである。

・ある大学生「読書が生きる上での糧になると感じたことはない。読書はスポーツと同じように趣味の範囲であって、自分にとってはアルバイトや大学の勉強の方が必要。」
ある中学生「読書は試験に役立たない。役に立つかわからない効率の悪いものに時間を削ることはない。」
→皆さんの考えはどうか?ぜひ聞いてみたい。私は、読書はRPGゲームなどで道に落ちているアイテムに似ていると考えている。拾った時はすぐには役には立たないが、ゲームを進めていくと必要な場面に遭遇するかもしれない。同様に、読書も読んだ時すぐには役に立たないが、生きていくと読んでおいて良かったと思える時が来るかもしれない。このアイテムを拾ってもすぐには役に立たないだろうと思って拾わない人はおそらくいないだろう。これは上の中学生に対しての反論である。大学生に対しての反論もしてみよう。私は学部3年まで教職課程の講義を受けていた。その中の1つに、総合的な学習の時間についての講義があった。その中で、どんな職業の人でも一流の人は言語能力に優れていると学んだ。例えば、イチロー選手やダルビッシュ選手は野球だけ上手いのではなく、インタビューを見るとわかるが話すのがとても上手である。とてもわかりやすく話している。人前で、首尾一貫・無矛盾・わかりやすく話すことは意外と難しいことである。もちろん慣れているからというのもあるかもしれないが、それでも相手に伝わるように、しかもダラダラとではなく要点をまとめて話すことはそれなりに高い言語能力が必要である。会社員でもいくら良いアイデアが頭にあったとしても、会議でうまく言語化できずにその魅力を伝えることができなければ意味がない。アルバイト・大学の講義の方が大事だという気持ちもわかる。それはすぐに結果が出るから優先してしまう。それは間違いではないが、各分野で出世するには高い言語能力があった方が良い。よほどの天才であれば必要でないかもしれない。しかし多くの人は凡人である。ならば読書をして高い文章力・語彙力を身につけることは必ず将来に活きるのではないだろうか。

まだまだ整備中...